甘い考え

 私は子供が大好きな母親でした。

離婚した後は子供を立派に育て上げる事ばかりを考えていました。

私の勝手で離婚したのですから子供には不自由な思いはさせないと意気込んでいました。

当時子供は12歳から2歳まで4人いました。立派と言うのは子供の好きな道に、それなりに高学歴に育てる事と思っていました。

立派に育てる事の意味を履き違えていたと後悔する事になるのですが。

貧乏な母子家庭と言っても世間並みに好きな道を見つける為にと習い事、塾に通わせ私立高校に進学させた子もいました。専門学校も高い月謝でしたし大学に行かせた子もいました。

当然自分の収入だけでは賄えなくなって借金を重ねてしまう事になっていきました。

4人も子供がいるのですから、もちろん皆そうなのでしょうが寝る間も惜しんで高賃金を目指して男仕事で力仕事を選んで働きました。

子供の前では明るくしているのですからお母さんは大変だとは思っていたでしょうが子供にお金の事は何も話していませんでした。

長男を県外の専門学校に出す頃には持ち家も売り質屋にも行きましたが、ついに高金利のお金を借りるようになっていきました。

 その時返済のことなど考えずに支払日をやり過ごす事でいっぱいでした。

借金地獄の真っただ中にいる時は冷静に考える事もできなく、考え方はまるで狂っていました。

毎月毎月の返済日は、あっと言う間にやって来るし毎日頭の中は、お金の事でいっばいになり眠れない日々は、鬱状態になっていましたから早く立ち直らないといけないと必死でした。

一人で悩んでいた私は長男についに相談し市役所の無料相談室に多重債務の相談を受けに行ったりする身になっていました。

他人に話した事で考え方も変わっていきました。

そして卑怯ではありますが弁護士さんを頼って自己破産をせんたくしてしまいました。

これも大変な決断でしたが、ここで、やっと債務から抜け出す一歩を踏み出したのです。

あれから7年

程になりますが貸して下さった方々に申し訳なく、今でも身が震える思いです。

自分の身の程知らずの行いや考え方に日々反省しています。

それでも一生償えるような事は出来ないでしょうが。

反省を促し励まし手続きを進めて下さった弁護士さんに感謝する自分もいます。

自己破産した後、長男は仕送りを学生の子はアルバイトで生活を助けてくれ進学をあきらめた子もいます。

助け合い、身の程の生き方をする、他人に迷惑をかけない、これが立派に育てる事だったのだと教えてもらえることになったのですから。

そして何より私は今生きていられるのですから。